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名古屋高等裁判所 昭和53年(く)10号 決定 1978年5月12日

少年 S・K(昭三六・六・一二生)

主文

原決定を取り消す。

本件を名古屋家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は附添人弁護士○○○○作成名義の抗告申立書及び抗告申立補充書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

一  抗告申立書第一記載(決定に影響を及ぼす法令の違反、事実の誤認)の論旨について

所論は要するに、少年には原決定が認めたような被害者Aに対する殺意も、実行行為もないのに、これらをいずれも存するものとして少年に殺人未遂罪の成立を認めた原決定は事実を誤認しひいては適用すべからざる殺人未遂罪の法条を適用した違法がある、というのである。

所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、少年の上申書、司法警察員に対する弁解録取書、司法警察員に対する昭和五三年二月一九日付供述調書、裁判官の勾留質問調書中には、少年が原判示犯行当夜勤先店内でのふざけ合いに端を発し、原判示被害者A(当時二〇歳)から店の客の前でひどく鼻血が出る程その顔面をひざ蹴りされていたく面目を損われたと同人に対し恨みを抱き、同人を「包丁で殺そうとしたが逃げられて殺せなかつたことはまちがいない」とか「やつぱりあいつは生かしておけん」とか「考え考えた挙句であり意外に頭は冷静でした」とか、「今度のことは相手のやり方がひどかつたのと僕の内向性の性格から我慢して我慢していたのが一番の原因です」とか「口で『こんな者刺し殺してやる』とか『ぶつ殺してやる』とか喚いた覚えです」とか「包丁で刺してやろう、刺し所によつては相手が死ぬかも知れないと思つた」とか「未遂に終つたのは現場にいた友達に止められたため」とかの供述内容が散見し、右A及び少年の同僚で本件犯行の目撃者であるBの各捜査官憲に対する供述調書(謄本を含む)にも少年がAの帰途を待伏せし、同人に対して「殺してやる」とか口走つた旨の供述内容が存し、また右Bの供述調書中には「少年はAにやられてから深く考え込むところがあり、待伏せに行く前に部屋でBに対し『客の前であんなひどいことをしやがつた。殺してやる』と言い出した。S・K君は前からA君にいじめられていた」旨の供述内容が存し、これら供述記載のみを措信すれば、少年は、被害者Aから店内において客の前で傷害を受け、その恨みから同人の殺害を決意したものとも疑えなくはない。

しかしながら、他方、少年は検察官に対する弁解録取書において「A君を刺そうと思えば刺せた状態でしたが怖くなつて刺しませんでした。ですから、自分にA君を刺そうと思つたかどうかはよく判りません」と供述している記載が存し、当審の受命裁判官の審問調書においても殺意を否定する趣意の供述をしており、原審の審判調書にも日頃Aからいじめられたことはない旨の供述記載が存する。

また、現実にAに対し少年のなした加害行為の態様を見るに、本件少年保護事件記録および当審の事実取調の結果を総合すれば、少年は事情を察した同僚Bの附添うまま、同人に秘して次々に用意した原判示包丁及びコーラ普通びんを着衣内にしのばせ、Aの帰宅途上を待伏せし、いきなり前示包丁を使用することなく、先ず、同人に自転車からの下車を命じ、下車した同人に向い、「お前さんなめたらどうなるんだ」と喧嘩腰で挑み、同人が黙つて着ていたジャンパーを脱ぎ少年の挑戦に応ずるかの如き素振りを示したので、機先を制し、ポケットから取り出したコーラ普通びんの空びんを握つてAの顔面に殴りかかり、二発目が同人の左顔面に命中し、同人がショックで数歩横によろめいて倒れると、「殺してやる」と喚いて右手に前示包丁を構えたがBの制止で右包丁による攻撃は行わず、右包丁を右手に持ちながら空地上にうずくまる同人を足蹴りにし、同人が走つて近くの○○方に逃げ込み、少年も亦右包丁を捨てて逃走したという状況であつたことが認められる。

そうだとすると、本件犯行についての動機、原因もそれ程根の深いものでなく、また殺意を生ぜしめるに足りる程強烈なものであつたものとはにわかに認め難いうえ、行為も、兇器たる包丁がその使用の機会が十分ありながら現実には被害者Aの身体に接触ないし接近した訳でもなく、加害行為としてはコーラ空びんによる二回の殴りかかり及び足蹴りにとどまるのではないかとも考えられ、傷害の結果も加療約一週間を要する左眼窩部打撲挫創に過ぎず、前示の加害行為が原決定の説示する未必の故意の発現に該るものとはにわかに断じ難く、少年の発した「殺してやる」との言葉も、強度の憎しみの念の発現として用いられるに止まる場合も往々にして存することにかんがみれば右言葉から直ちに殺意を推認することも相当でなく、少年に傷害の故意の存することは勿論であるがそれ以上殺人の故意まで認定し或いは殺人の実行行為の着手まで認定するには疑念の存するものというべきである。

そうすると、原決定には著しい事実の誤認とひいては法令適用の誤りの存する疑いがあり、少年にその殺意並びに殺人の実行行為が存したか否かにつき原審に事件を差戻してなお審理を尽さしめるのが相当である。論旨は理由がある。

二  抗告申立書第二並びに抗告申立補充書記載(処分の著しい不当)の論旨について

所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、本件については、右に判示したごとく少年の殺人未遂罪の成否につき疑の存するうえ、かりに殺意が認定できるとしてもその殺意は少年のコーラ空びんによる一撃によつて激情も鎮まり殺意も消滅したものと見る余地もあり、少年の本件所為に発現された犯罪性が左程強固なものとは認められず、被害者Aも少年を宥恕しその処分の軽からんことを上申しており、少年にこれまで保護歴もなく、雇主Cも店を挙げて少年の復帰を望みこれが善導を誓つており、少年の反省悔悟も見るべきものありと認められるなど諸般の情状にてらせば、原決定の指摘するが如き少年自身の性格の欠陥、家庭の指導能力の不足等を考慮に入れても、なお、直ちに短期処遇とはいえ施設収容による矯正教育の途を選択した原決定の処分は重過ぎて不当であるとのそしりを免れない。同論旨も理由がある。

よつて、本件抗告は理由があるから少年法三三条二項に則り、原決定を取り消したうえ、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 杉田寛 裁判官 鈴木雄八郎 吉田宏)

参考一 抗告申立書

抗告申立書

抗告の趣旨

(決定に影響を及ぼす法令の違反、事実の誤認)

第一 一 少年には殺意がない。

本件は少年がコーラ瓶で被害者をなぐつた後、「もうそれで気がはれた」と言つているように、くやしさのあまり被害者にしかえしをしてやろうと思つただけのケースであり、包丁をとりだしていたとしても、それは「被害者をこの世から抹殺しよう」という故意ではなかつた。

殺意とは、「相手を抹殺しようという意思」であるからしてそうそう軽々しく法令のあてはめによつて認定さるべきものではない。

「殺してやる」というのは「殺してやりたいほどにくい」という意味であつて、真実少年に殺意があつたかどうかは口から出た言葉から推認さるものではない。

事件の流れを大局から虚心にみれば、少年には傷害の故意しかなかつたとしかいいようがない。(練習だといつていたのも相手をやつつけてやろうという意味であつて決して殺すための練習の意味ではない)。

二 殺人としてもいまだ実行行為がない。

少年が実際に包丁をとりだして、「殺してやる」といつたのは、被害者をコーラでなぐつた後うずくまつたところを足げりにしていた時で、この時はただ憎しみの言葉をくちばしつていたに過ぎない。

Bはこの時はもう少年をとめてはいないから刺そうと思えばいつでも刺せたのに何もしてはいない。(どこを刺してやろうかという認識もなければ、どうやつて殺そうかという意識もない。また、めつたやたらにつき刺して殺すという意思もない。もしBに対して練習だと言つていたのが、殺そうという本意であるならば、この時一度は包丁で刺しているはずである。

包丁をふりまわしたのは、被害者が逃げる時、少年から二-三メートル離れてからのことであり、これはふりまわすというより単に追つかけようとしたというだけのことであつて、これをもつてしても実行の着手とはいいがたい。

又、コーラの瓶でなぐつた段階では、まだ傷害の故意しかない。(コーラでなぐつていためつけ、その上で相手をつきさして殺そうというような計画的な故意などはない。体力的にかなわないから……、相手が年上で大学生でありばかにされたくやしさから……コーラ瓶をとりだしたまでのことである)

第二 (処分の著しい不当)(編略)

参考三 少年調査表他関係資料<省略>

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